佐藤達也投手の引退に涙せざるをえない(2018年11月5日)

2018年シーズンで一番悲しかったことは、Aクラスになれなかったことではなく、佐藤達也投手の引退だ。

自分にとっての2014年MVPは佐藤達也

2014年シーズン。あの惜しくも優勝に届かなかったシーズンで、もっとも欠くことができなかった存在と言えば、自分は間違いなく佐藤達也と答える。もちろん数字上は、シーズンMVPにも輝いた金子や首位打者を取った糸井の貢献度の方が高いのだろうが、あの年のチームの戦い方は、終盤で困ったらとにかく佐藤達也!という、それくらいサトタツに頼り切っていた。

回跨ぎはもちろん、連投も当たり前のようにこなしていた。後の継投は何も考えず、比較的浅いイニング(6回前後)から比嘉や岸田を投入し、後は馬原、佐藤、平野!とそういう日もあった。平野は割と9回に固定されていたが、サトタツは一番大きい歯車として、つねにチームのブルペンをささえていた。

サトタツがいなかったら、あのチームの戦い方はできなかったという意味で、最も重要なピースだった。しかしその代償はあまりに大きく、2015年シーズンからは元のようなボールを見ることはほぼなかった。年齢もひとつひとつ重ねて行った。ファンとしてかつてのような投球が見たいと願ってきたが、32歳のシーズンを終えたこのタイミングで引退というのは、半ば予想していたとは言え、あまりに悲しい終わり方だ。

いつか記憶が薄れたときのために、自分の思い出を簡単に書いていきたい。

思い出1:入団当初

ドラフト3位でオリックスあるあるの大卒社会人投手として入団ということで、また即戦力(仮)の投手か?と失礼ながら思っていたが、キャンプ中継か何かでボールを見たら、確かにまっすぐは面白そうだと思った。ただルーキーのときは、1軍ですぐ活躍できるようなボールかと言うとそうではなく、コントロールを磨かなかればキツそうという印象だった。

思い出2:2013年、西本投手コーチ

2013年はオープン戦から確か期待されて、勝ちパターンは佐藤達也!と西本コーチと森脇監督が抜擢していたと記憶している。そして、細かい状況はうろ覚えだが、開幕して早々の時期に8回1点リードで登板したが、フォアボールが絡んでノーアウトで塁が埋まったピンチを招いてしまったことがあった。

この試合を見ていた自分は「サトタツはやはり制球がままならんなあ。今年の勝ちパターンは厳しそうだなあ。ここも誰かに交代かな?おっ、投手コーチが出てきた。」という具合でテレビの前に座っていた。

しかし、西本投手コーチはいつもの優しそうな表情でサトタツに話しかけると、そのままベンチに帰っていった。そこからサトタツは人が変わったようにピシャリと抑え、その試合はそのまま勝ったと思う。

この試合が無ければ、佐藤達也という投手は、自信を持てないまま名を残すこと無く檜舞台から姿を消していっただろうと自分は思う。それくらい、西本コーチとの出会いは大きかったと思う。(というわけで、自分は今でも西本さんにコーチとして来てもらいたいと強く思っている。)

思い出3:ツースリーからフォアボールを出さない

全盛期の投球で思い出すのは、荒れ気味なのでカウントを悪くしがちなのだが、そこから簡単にフォアボールを出すのではなく、真っ直ぐで押し切って勝ってしまう投球が多かったことだ。ツースリーから三振を取る場面を幾度となく見た。

だからこそ、8回佐藤達也はいつも安心して見ることができた。先頭打者にフォアボールを与えても、そこから送りバントでアウトを1つとり、あとの打者をヒットを打たれずに抑えるのが容易にイメージできた。

ツースリーになると、打者もほぼ真っすぐ待ちになると思うのだが、それでも空振りを取るスタイルが好きだった。

思い出4:2014年 CS 1stステージ第3戦での陽岱鋼との対戦

2014年は先述の通り、これでもかというくらい酷使されたシーズンだった。優勝も惜しいところでできず、ろくに休めないままクライマックスシリーズへとなだれ込んだ。自分は、段々とボールの質が落ちるサトタツや、しんどそうな様子を見て、「ポストシーズンはとにかく早く終わればいいのに」という気持ちになっていた。

そして、日ハムとの第1ステージは第3戦までもつれこむ展開へ(しかも台風で順延した)。自分は、(その時絶好調だった)駿太を1番で起用すれば勝てるのになあ、と思いながら球場にたどり着くと、なんとスコアボードに1番駿太の名前があり良い意味で驚いた!そして案の定、メンドーサから先頭打者ホームランを打ち、これは行ける!と思ったものだ。しかしペーニャのいない打線は、その後得点することができず、なんとか踏ん張っていた西が稲葉に同点タイムリーを打たれてしまう。(確かその年は稲葉をほぼ抑え、これがシーズンで初めて打たれたヒットじゃなかったかな。)なおもピンチが続くところで、西から直接サトタツにバトンタッチし、無事に0点で切り抜ける。延長戦の色が濃くなってきた中、サトタツは回跨ぎで次のイニングへ。

このとき自分は、もうこれ以上酷使しないでくれ・・・と半ば絶望的な気持ちで試合を見ていた。特に自分が一番ハラハラしたのは、そのとき絶不調だった陽岱鋼との対戦だった。陽はこのシリーズでバットに当たる気配すらしない絶不調だったが、もしここで陽に打たれるという筋書きがあったら・・・と思ったのだ。

しかし、このイニングのサトタツの腕の振りは、本当に凄まじかった。たしか、陽にもカウントを悪くしたものの、最後は三振に仕留めたと思う。本当に腕が千切れるのではないかと思うくらい、気合が伝わってきた。

(そして、終盤の1アウト3塁から宮西から勝ち越し点が取れず、平野が回跨ぎで中田にホームランを打たれ、最後の攻撃で駿太に送りバントをさせた時点で厳しいと感じ、そのままポストシーズンが終わった。ただ、ほっとした自分もいた。)

思い出5:フォークを覚えなければ

全盛期の投球割合を見ると、70%以上がストレートだったと思う。そんなわけで、キャンプになるといつも「佐藤達也フォーク習得へ」の記事を見かけるようになった。確かに、真っ直ぐとスライダーだけでは球数を要することもあり、追い込んでから一発でフォークで空振りが取れれば、一気にピッチングは楽になっただろう。

しかし、自分はこのフォーク習得が良くなかったのではないかと思う。フォークをいいところから落とそうとするあまり、本来の腕の振りが影を潜めていたように見えた。フォークが有効な武器として働いている場面を見た記憶が本当に少ないし、真っ直ぐやスライダーにも悪い影響を与えた気がする。

もし佐藤達也が生まれるのが数年遅かったら、フォークではなく流行りのナックルカーブを習得する方向になったとおもう。ナックルカーブのほうが合いそうなので、その世界ではどうなっていただろうなあ。(ただ、ディクソンという使い手がいたし、ナックルカーブも合わなかったのかもしれないな。)

思い出6:たしか2016年の交流戦のボールはまた凄かった

たしか2016年だったと思う。交流戦前後は、全盛期のボールを投げ込んでいたと思う。当時、無双状態だった山田哲人を全く寄せ付けずに真っ直ぐだけで三振取った打席は全盛期そのものだった。(正直に言うと、変化球も投げたかもしれないが、よく覚えていない。ただ、決め球は外めの高め真っ直ぐだったと思う。)

思い出7:全体的なこと(箇条書きで)

最後に、いくつか箇条書きで。

  • キャンプでいつも投げ込みすぎの記事や、フォーク習得の記事が風物詩だった。
  • スライダーも切れもかなり良く、スライダー被打率は実はかなり低かったはずだ。
  • 投げるときに三塁方向を見てタメを作るのがカッコよかった。
  • 非常にコンパクトなフォーム。軸の周りから腕がコンパクトに出てくるが、腕の振りそのものは大きく、コンパクトかつダイナミックなフォームだった。
  • 2015年に柳田にサヨナラ3ランを打たれたときは本当に辛かった。
  • 青いグローブといつも半袖なのがカッコよかった。
  • 小谷野の引退試合をやっているヒマがあったら、サトタツの引退セレモニーをやってくれ。そうでないと、誰もこのチームで生え抜きで終わろうなどと思わないぞ。(自分は、非常に腹が立った。)

やはり、投手の酷使はやめるべきだ

こうやって酷使されたリリーフ投手は元には戻らないのに、なぜどのチームも同じ過ちを繰り返すのかが自分には解せない。あまりに短期的視野になってはいないか。首脳陣は翌年にはチームにはいないかもしれないが、選手は10年近くはチームのために投げなければいけないのだ。

人間というのは、環境問題にも真剣に取り組まないし、生き物だって自分の都合のために乱獲してきたし、そんなものということなのだろうか。。

と、なんか社会的な目線で物事を捉えたい気持ちになってしまったが、言いたいことは、より長い視点を持つということが欠けていることがあるということだ。ただ、リリーフ投手の酷使は、それが人間と人間の関係であるという点で非常に複雑だ。

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