FA宣言した選手からよく聞く、「他球団の評価を聞いてみたい。」というフレーズの意味
これを言わない人はいないのではないかというくらい、「他球団の評価を聞いてみたい」はとにかく常套句となっている。もはやフレーズ化してしまっているので、今さらその言葉を聞いての感想が生じるわけではないが、改めて考えてみると、ひとつの疑問が生まれる。
「他球団の評価」というのは一体何なのだ?
それは一体どのような形で提示され、どのような物差しで測られるのだろうか?
「誠意は金額」という真理
何の物事においても、いくら言葉で想いを述べたところでそれが真実であるかは判断できないし、なにより時間が経って変わってしまう可能性がある。
しかしながら、「金額」という待遇は、契約という仕組みのもと決定され、それが変わることはない。お金というのは貨幣価値の変動はあるものの、少なくとも日本という社会において共通の物差しである。
したがって、誠意は金額をはじめとする待遇に表れる、と考えるのは非常に妥当である。つまり、「誠意は金額」である。
しかし、「金額は誠意」ではない
では、順番を入れ替えた、「金額は誠意」は成り立つのだろうか?
手塚治虫の名作「ブラック・ジャック」を読んだことがある人ならば、「金額は誠意」ではないという考えはすんなり腑に落ちるだろう。ここで、一つの例を挙げよう。
年間予算が50億円ある球団Aが出す5億円と、年間予算が20億円しか無い球団Bが出す5億円では、結果としては同じ額であっても、球団Bのほうが切実度が高い。多くの場合、球団Aは「それなら6億円出します」となり、獲得競争を出し抜くこととなる。
この例から分かる通り、「金額」は誠意の度合いを図る物差しではあっても、「金額」=「誠意」ではない。(ただし、真に誠意があるならば、球団Bは年間予算を増やす努力をすべきだ、という指摘はありえる。)
(更に極端な例を言うと、小学生にとっては1000円は大金だが、多くの大人にとってはちょっと高いランチ代だ。小学生が1000円を使って大冒険をして得た大事な宝物でブラック・ジャックに手術を依頼するのと、大人がATMから取り出した100万円で依頼するのとで、ブラック・ジャックが何と言うかは分からない。)
「他球団の評価」というフレーズは、がめついのではないか?
その選手が欲しいから交渉しているのは当たり前の話だ。その意味で、「評価の高さ」を知りたいというのはある種、悪趣味な考え方だ。
めちゃくちゃ欲しいからこそ、高級ホテルの一室を借りたり、高級レストランの一番いい席で食事をしながら、懇切丁寧に熱意を伝え、高級なお土産を渡すのだ。
上で述べたように、「金額」は「評価の高さ」を図る物差しではあるが、誰もが金銭的に等しい状況にあるわけでは無いので、絶対的な評価の指標にはならない。にもかかわらず際限なく「評価」を求め、より金銭面での高待遇を求めるのは、自身の金銭欲が高いことを主張しているだけである。
一方で、例えばMLBのような贅沢税が導入されており、公平化が図られているならば、「金額」が大きいところが「評価が高い」と考えるのは、非常に理にかなっている。(もちろん経営者ごとの資本状況は大きく異なるが。)
しかしながら今のNPBは、チームの人気、親会社の資本で球団の収支が決まり、球団間の金銭的格差は”ゼロから百”までありえる。
そんな中、「他球団の評価」として「金額」という物差しを使うことを採用してしまうと、必然的に裕福な球団に移籍しがちになってしまう。(そして、その球団は強者であることが多い。)何より懸念されるのが入団を決めた球団の環境がベストマッチではなく、本人のキャリアが不幸な方向に傾くことだ。
お金ではなく、自分のキャリアが最大幸福を得られるチームに行く、というのがあるべき考えだ
一軍で活躍しているプロ野球選手にとって、お金はもはや物欲を際限なく満たすための道具でしかない。
プロ野球選手ほどの給料をもらっていれば、家や車は普通に買えるし、子供だって何人いたって困ることはない。高級地に豪邸を建てたり、超高級車を買おうとするから、お金がどこまでも必要になるのだ。
ただ、人間のプライドを考えたときに、「あのチームの誰々より、もらっている」というような思念が生まれるから、「評価の高さ」として「金額」を重視してしまうのだ。
しかし真にあるべきは、球団が自分をどう評価しているかではない。自分が球団をどう評価するか、その球団が自分に何を与えてくれるかである。(熟慮のうえFA宣言した選手は、皆そう思っているに違いないと思う。)
例えば、以下のようなものが挙げられる。
・自分を成長させてくれるのか(データ解析やトレーニングが充実しているか)
・野球に集中したいのか(その場合、そのための施設が充実しているか)
・あるいは都市部で遊びたいのか(これは、互いに不幸になるパターンだろう)
・コンディショニングをサポートしてくれるか(怪我を予防してくれるのか)
・とにかく優勝したいのか
・自分の引退後の面倒を見てくれるか
・立地が目的に適うのか(実家や気候など)
・異なる環境で野球をやってみたいのか(という経験を積みたいのか)
個人的な考えとしては、「優勝したいから移籍する」と言う選手のことは残念に思う。もともと強いチームに移籍したらそりゃ優勝するわけで、何の達成も無いではないかと思う。
しかし、そうバッサリ切り捨てられる問題ではない。野球というのは、選手一人の力で最下位から優勝に持っていけるスポーツではないからだ。
いつまでも優勝できなさそうな、恒常的に弱いチームに居続けたくないのは、それはそれで当然だ。少なくとも、ある程度の頻度でAクラスになっているチームでないと、「優勝したい」という気持ちのある選手を引き止める権利は無いだろう。
オリックスの場合
自分の応援するオリックスからは、西がFA宣言をした。怪我が少なく、いつも160イニング前後を投げてくれる、非常に安定感のある投手だ。一オリックスファンとしては、もちろんオリックスのユニフォームに袖を通した西を今後も見たいが、本人の人生にとってそれが最良かどうかは、本人しか分からないことだ。
個人的に、西は接戦で投げ続けるよりも、ある程度リードがある中で黙々とイニングを稼いでいくのが、最も本人が輝けるスポットではないかと思う。別の言い方をすると、弱いチームのチーム力を上げるよりも、強いチームのチーム力を上げる場合のほうが、貢献が大きいということだ。その意味で、打線の強いチーム(西武、ソフトバンク、広島、ヤクルト)に行くのが良いと思う。
したがって、こういう考えを覆す何かをオリックスは提供しなければいけない。西の望むトレーニング器機を導入するとか、チームの管理を改めるとか、何か自由な権利を与えるとか、そういう具体的なメリットを示す必要がある。あるいは他球団に行くデメリットがあればそれに言及してもいい。
しかし、ここでふと気がつくのは、真にそういうメリットがあるチームであれば、FA宣言をされることもないのではないか?ということだ。あるいは、はじめから残留するつもりであるが、「他球団の評価」を純粋に聞いてみたい、ということでFA権を行使したのであれば、それも非常に面白いシナリオだ。
また逆にオリックスは、西武の浅村の獲得に声を上げている。しかし、口説き文句が「地元で頑張ろう」では、高が知れている。必要となる選手の獲得の際にそんな言葉しか言えないようでは、そのチームには提供できる魅力が無いと言っているようなものだ。もちろん、スポーツ紙の紙面上を飾るのは、そういう分かりやすい口説き文句であり、実際の交渉の場では、よりデリケートな情報が提示されるものであるはずであるが。(そうだよね?)
12球団の平等化が大事である
12球団が金銭的に似たような状況であれば、あるいは、共通の枠組みで縛られていれば、より好条件を提示した球団がより高評価をしている、というシンプルな図式が出来上がるので、「他球団の評価を聞いてみたい」が成立する。
そうなれば、FA宣言をした選手が裏切り者扱いや守銭奴扱いを受けるようなことには、ならないだろう。
「「金額は誠意」ではない。FA時に球団が真に提示すべきものは何か。(2018年11月10日)」への9件のフィードバック