雑記です(2021年8月13日)

 最近の更新頻度から感づかれている方もいると思うが、私は今は夏休み中で、束の間の?休日を満喫している。またお盆休みが明けるとどれだけ更新できるか分からないので、なんとなく書いておきたいことを今日は書きたい。

 オリックスとコロナのことなど、色々入り混じるので大変読みにくいかもしれない・・・!

ラベロはしっかりと調整させるべき

 すぐに1軍で起用したくなるのは分かるが、ある程度ストライクゾーンや日本のピッチャーの傾向などを2軍の試合で掴んでもらうと同時に、守備や走塁についてもしっかりと日本野球を勉強し、それから1軍に合流した方がよい。

 ラベロ本人が少し下で調整したらすぐに1軍で合流できると言ってはいるが、我々が必要としているのは「しっかり調整して本来の実力を発揮できるラベロ」だ。そこのゴールを混同してはいけない。

このブログで自分の思想や意見を述べることについて

 最近このブログで、コロナやオリパラ関連の投稿(そして多くは批判的な内容)が増えていると自覚している。本当は野球のブログなのだが、一応「野球のこととかを書きたい。」というブログ名である通り、野球以外のことを書く逃げ道を自分で用意している。

 このブログの読者の方々には、野球やオリックスのことを期待してくださっている方が多いとは思いつつ、一方でこういう表現の場を大事にしていきたいと思っている。

 本当はツイッターでポチポチ呟いても良いのかもしれないが、より詳しい情報や考えを求めてインターネットを彷徨ってこのブログにたどり着いてくれた方に、何か中身のある物を提供したいという 気持ちが強い。

 その根源にあるのは、インターネットの中を探すと、何か価値あるものが見つかるという楽しみが世の中にあってほしいという考えだ。今やWikipediaがあり、色々なポータルサイトがあるので、そういったところに情報は集約されがちになる。それはもちろん悪いことではないが、「個」を感じることが少なくなっている。しかし、個人サイトをブックマークし、定期的に更新を確認したり、ふらっとアクセスするというのは結構楽しいことだ。

 また、私がインターネットを始めたころはWikipediaなども存在せず、色々な情報を調べると、個人サイトのようなものがたくさん出てきた。それらを通じて、様々な物の見方を養うことができた。だが今は、大衆意見が強調されやすく、個々人の声(場合によってはマイナー意見)の詳細が分かりにくいように思う。

 ツイッターを見たり使えばいいじゃん、となるかもしれないが、なんともツイッター界の空気に流されたくない。ある程度他者と距離を置いた形で、フォーマルな文章としてもはっきり残る形で発信したいのだ。これが、このブログの原動力だ。

 だから?、野球以外のことについても、思ったり伝えたいことを投稿していきたいと思っている。

コロナ関連技術のbreakthroughに期待

 最近は、「ブレイクスルー感染」という用語ばかり聞くようになったが、breakthroughという単語には革新的飛躍というような意味がある。(色々な意味で、壁をぶち破るというニュアンスの単語だろうか。)

 私は、人々が自粛・我慢し続けるだけのこのコロナとの戦いに終止符を打つ「何かのbreakthrough」に期待せずにはいられない。ちょっと前までは、その「何か」は多くの人々にとってはワクチンであったわけだ。

 私が期待している「何か」は、コロナの可視化技術や即時検出技術だ。

 要は、新型コロナウイルスを排出している人間を速やかに判別し、必要な隔離や措置を講じるとともに、早期に治療・感染拡大防止を施していく世の中になってほしいと思っている。

 理想は、「コロナ可視化メガネ」だ。このメガネを装着すると、吐いた息に新型コロナウイルスが含まれるときに色が付いて見えるのだ。これが国民全員に支給されれば、感染拡大など起きようがない。仮に感染が蔓延していても、感染者から十分に距離を取ることができる。

 ただ、この技術は流石に夢物語すぎる(ウイルスの大きさは、100ナノメートルくらいで、これは可視光の波長と同じオーダーだ)ので、より現実的には即時検出技術を普及させることに努力を費やしてほしい。

 私のイメージとしては、たとえば建物の入り口に検出機が置いてあって、それにちょっと息を吐くだけでウイルスが含まれるかどうかを瞬時に判定してくれる、というようなものだ。これがあれば、このチェックをパスした人しか施設内に入れないので、施設内で安心してノーマスクで過ごすことができる。もちろん、飲食店も普通に営業ができる。ただし潜伏期間のタイミングで、施設内に入ってから体内からのウイルス排出が始まるような厄介なケースもあり得るので、そこは注意が必要だ。

 この即時検出技術であれば、可視化メガネよりも実現性が高そうに思える。実際、今年の3月には琉球大学のグループが、2分で新型コロナウイルスを可視化する新規検査法を開発している。

 こういう明るいニュースを今後期待したいものだ。現実的には、画期的な治療薬が見つかる!とかに期待かなあ。

夏休みがただ明けるだけでよいのか?

 9月はいわゆる新学期の始まりにあたる。感染拡大が懸念される中、リモート授業に舵を切らず、通学者を増やすことは正解と言えるだろうか?

 私は不正解だと断言する。仮に通学での体制で学校を始めたとしても、今の感染状況および変異株の感染力の高さを考えれば、遅かれ早かれ感染者が校内で発生し、どうせ授業中止とかリモート授業ということにならざるを得ない。

 なぜかというと、8月12日には日本全国で約1.8万人の陽性が確認された。これが2週間続いたら、約25万人になる。日本の人口を1億2500万人とすると、500人に1人が感染している計算になる。つまり、多くの学校で1学年に1人とか、学校で1人などの感染者が発生するだろう。学校のような集団生活はクラスターの発生する最たる場であるから、学級閉鎖ということになる。しかも、感染が拡大しているところなので、この見積もりは”控えめ”である。それと、若年層にどれだけワクチンが行き渡っているかの状況を照らし合わせれば、答えは明らかであると思う。

 授業中止になるくらいならば、初めからリモート授業を宣言し、感染状況が(劇的に)改善するまでリモート授業に徹して安定して授業を進めた方が勉学になるのは疑いようがない。政府や自治体は早期に(新学期が始まるより十分前に)方針を早く打ち出さないといけない。また、リモートワークについても同様に、強い呼びかけを政府や自治体は行うべきだろう。

 おそらく、10代・20代の小中高生や大学生などの中には、「自分は自粛して夏休みを過ごしていたのに、一部の自粛しない人々のせいで感染が拡大し、自分たちの学校生活に影響が出るのは納得がいかない。」と言う人が多いだろうが、仕方のないことだ。

 恨むなら、自粛しなかった人々を恨むべきだ。一応、政府は不要不急の外出の自粛を呼びかけ続けてはいる。政府の対応は決して満足できるものではないが、やはり悪いのは自粛せず感染拡大を助長してしまった人々だ。彼らのせいで、「感染したら十分な治療が受けられずに死ぬかもしれない」という恐怖を誰しもが感じなければならないのだ。(一応言っておくが、政府の責任も大きい。)

ということで、以上雑記でした。

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