コロナ:危機的な現状況を乗り越えるための課題と反省(2021年8月12日)

危機的な状況だと認識を持っているか

 各都道府県で感染状況が著しく悪化している。厚生労働省の資料を見ても、これは明らかだ。なんと直近では、全国的に前週比1.8倍以上のペースで感染者数が増えてしまっている。

 正に危機的な状況に既に陥っていると人々が正しく認識する必要があるが、実際のところはどうなろうか。どうにも、人々の認識がユルいように思えてならない。ここで言う人々とは国民一般だけでなく、政治家(政府)のことも指している。

 お盆休みにおける帰省・旅行も盛んに行われていると思われ、全国的な感染拡大に歯止めをかけることが非常に難しい状況になっている。少なくとも夏休みが終わるまでこの傾向は続くだろう。夏休みが終わった後も、感染した人々の行動圏内で感染の伝播が止まらない状況が続くかもしれない。

 現状は1日の全国感染者数が1.5万人を超す程度であるが、上記のようなことを考えると、最悪の場合に、日に4万とか5万くらいの感染者数が発生するという事態を今は想定して動かなければならない。その状態が継続したら、医療現場だけでなく人々の日常生活や経済活動も崩壊するだろう。これは何としても防がなければならない。(政府にはその危機感はあるのだろうか。)

 私なりに、これから何をすべきかと、何を反省すべきか、を述べていきたい。

1.効果的なメッセージ発信のチャンスを逃すな

 オリンピックを開催してしまった以上、自粛の賛同が得られにくい状況にある。政府がどれだけ自粛を呼び掛けても、もはや人々の心には届きにくい。だからこそ、メッセージ発信のチャンスがあればそれを最大限に有効活用しないといけない。具体的にはどういうことか?

●全国的に緊急事態宣言を出すべき

 「緊急事態宣言慣れ」が叫ばれて久しいが、それでも全都道府県への緊急事態宣言は、いわゆる第1波(2020年4月~5月)の際に発出されたのみで、切り札として出せるとっておきのカードだ。

 緊急事態宣言の効果が薄れる要因のひとつとして、経済圏・生活圏として一体のエリアであっても都道府県毎に宣言が出されるために、実効性やメッセージ性が弱まってしまうことが挙げられる。例えば、東京都にのみ宣言が発出された状況が長く続いていたが、神奈川県・埼玉県・千葉県からどれだけの人が一日に通勤・通学で東京都に移動するかを考えれば、東京都にのみ発出された宣言の実効性が弱まるのは明らかだ。

 全国的な緊急事態宣言は、日本国民全員に一度に呼びかけができる最後の手段と言えるだろう。今全国的に感染が拡大している状況で、速やかに宣言を発令しない理由が私には見当たらない。人流が減っているとか、さすがに自粛する人が増えるだろうとか、ワクチンで何とかなるとか、そういうことを政府は思っているのだろうか。それは見通しが甘すぎる。あるいは、神風が吹いて感染者数等が減少するとでも思っているのだろうか。ここでの神風は、おそらく全国的な自然災害(=長期間人々が自宅にこもらざるを得ない)以外にはないので、神風でもなんでもない。

●甲子園などのイベントは有観客で良いのか?

 オリンピックは無観客で開催された。富岳によるシミュレーション結果で、有観客は感染拡大には繋がらない、と主張しておきながらの措置であった。私は無観客については、開催した以上は「正解」だったと感染拡大防止の観点からは思うが、チケット収入や宿泊・観光業界への恩恵が得られないことを踏まえれば、そんなことなら余計に無理に五輪開催にこだわらなくてよかったのではという考えだ。(別に東京に集まって競技をする必要もない。)

 で、甲子園は無観客と言いつつ生徒・関係者・保護者など最大2、000人程度の観戦を認める措置だが、これはこのままで良いのだろうか?

 日本全国からそれだけの人数が甲子園に集うことは、感染拡大防止の観点からは非常にまずそうに見える。当然宿泊を伴う場合が多いだろうし、中には旧友と交流を深めたり、観光に繰り出す人もいるだろう。変異株が全国的にさらに広まる(ミックスされる)ことは残念ながら防げないだろう。

 ただ、意外に思われるかもしれないが、私は甲子園については別に何でも良いと思っている。私がオリパラに反対してきた(している)のは、世界に対する責任を負えないという意味でだった。甲子園は国内での話なので、別に他所の国に迷惑をかける話ではないので好きにしたら良いのではないかと思う。言ってしまえば、朝日新聞社が開催しているだけの国内イベントだ。

 しかし、政府がもし全国的な緊急事態宣言を速やかに発出し、都道府県をまたぐ移動の自粛を強く求めることで(=生活上欠かせない場合のみと限定するなど)、甲子園の今の開催方法に現実的にNoのメッセージを出すことができれば、効果は大きいと思われる。

 ある意味、甲子園は”見せしめ”のようになってしまうが、それは仕方がないことだ。あとはその他のプロスポーツの観客についても、同様にドライに判断すべきだろう。それくらいの引き締めが残念ながら必要と思われる。

2.ロックダウンの出し方を検討せよ

 「欧米のようなロックダウンは日本には馴染まない」ではなく、必要な措置としてロックダウンの導入を検討する、というのが政府の在り方ではないか。

 法律的に難しいとかではなく、どうしたらロックダウンという強力な措置がとれるのかの実現方法を考えるべきだ。現実的に法改正を経て直ちにロックダウンを罰則を以って適用することは不可能であるから、お願いベースではあるものの、人々が外出しないロックダウンをどうやって実現するかを検討し、実行に移すことが肝要だ。

 私はすっぱりロックダウンして撲滅してしまえば良いと去年の4月から何度も何度も主張してきた。そもそも法整備ができていないことが遅れていると感じるし、検討を始めようとしない政府にはさらにイライラする。

 ただし、最近ショッキングだったニュースは、もう一部の自然動物界に新型コロナが蔓延してしまっているというものだ。

野生のシカの4割に新型コロナの抗体、集団感染の可能性、米国

 昨年の冬頃だったかに、デンマークのミンク農場で集団感染が判明し、恐ろしい数のミンクが殺処分されたというニュースが出たときも非常に悲観的に思ったが、野生でここまで広まっているとは・・・。これではコロナの完全撲滅は文字通り不可能だ。(ロックダウンを世界的に頑張って、いつか全世界で感染者が0人になっても、いつか動物経由の感染が発生する。)これは、新型コロナをここまで広めてしまった人類が地球上にもたらした大きな厄災なのかもしれない。

3.反省すべきこと

 自粛要請とオリンピック開催が相反するメッセージであるとよく言われている。その他のふるまいを見ても現状、全体的に政府はダブルスタンダードになってしまっている。

 これが意味するのは、政府は現在の感染拡大を危機的に考えていないのではないか?という疑念だ。例えば、以下の点について、政府は反省が必要ではないかと思う。

オリンピックの閉会式をそのままやってしまった

 オリンピックの閉会式(とパラリンピックの開・閉会式)は現実的に縮小すべきだと私は主張してきたが、実際のところはどうだっただろうか。

 私は別に中継を見ていないので、ニュース等で映像を見た限りでの情報に基づくので不正確かもしれないが、各国の選手が「密」の状態になっていなかっただろうか。場合によっては大はしゃぎで、正にお祭り状態であった。そもそも、閉会式に選手が集まることの意義や必要性が分からないし、あのようなお祭り状態になることを許容することがコロナ禍の時分で客観的に納得できるものではない。(一応補足だが、オリンピック内では感染者が非常に高い水準で発生していた。)

 あの映像を見せつけておきながら、人々に自粛を呼びかけるのはちょっとおかしい。まともにこの構図が成り立つと考えているならば、サイコパス的な要素すら感じる。

 私は閉会式を今から批判したいのではなく、もし「閉会式を縮小します」とアナウンスして、「自粛した」スタイルでの閉会式を実施できていれば、人々に対して効果的なメッセージになったのではないか、ということを言いたいのだ。だが、そのチャンスは見事に逃してしまった。

 一応、パラリンピックの 開・閉会式が残ってはいるが、オリンピックほどの注目度があるかと言うと厳しい面があるだろう。

●IOC会長バッハ氏の銀座散策問題

 はじめに言っておくが、バッハ氏が銀座を散策すること自体は全く問題がないことだと思う。すでに日本に入国して15日間が経過しており、それまでに様々な場所を訪問(中には人との交流を伴うものもあっただろう)していたし、何よりただの散策にそこまでのリスクがあるとは思えない。

 しかし、丸川大臣の発言は問題であった。映像を見ると、以下のように述べている。

「まず14日間しっかりと防疫措置の中で過ごして頂いているかということは重要なポイントだと思います。で、加えて不要不急であるかということは、これはもうしっかりご本人が判断すべきものであります。」

※発言の全文ではない可能性もあるが、発言の終了後には頷いているので、この発言で閉じていると解釈することはそこまで不自然ではない。ただし、記者からの質問内容が分からないので、特に不要不急の部分の捉え方は慎重になるべきだろう。

 まず、「14日間の防疫措置」というのはどういうことだろうか。バッハ氏の来日にあたっては特別扱いで、3日間しか自主隔離期間を設けていなかった。通常は、14日間の自主隔離が求められているのではなかったのだろうか。

 もちろん、期間中の連日のPCR検査等により陰性が確認されていることは分かっているし、バッハ氏が感染しているとは全く思わない。だからと言って、様々な場所を訪れ、五輪期間中も様々な選手や関係者と接触していたと思われるバッハ氏が14日間の防疫措置をしっかりと過ごしたという説明には、様々な違和感がある。

 次に「不要不急」の部分だが、誰がどう考えても街散策自体は不要不急だ。(だが、私は散策程度は許容されるべきものだろうと思う。もちろん頻度や程度にもよるが。)

 それを、「当事者が判断するものであって、私は知りません」というようなことを言ってしまった。おそらく、記者からの「バッハ氏の銀座散策は不要不急な外出に当たらないのか?」という質問があってそれに対する返事なのだと思う。この応答は分からなくもないが、バッハ氏は政府がもてなしていた要人である。その人物の行動に我関せずの本人任せの姿勢を貫くのは、無責任に見えてならない。(その後?、加藤官房長官も同様のコメントをしていたので、これが政府のスタンスだ。)

 普通は、以下のようなコメントをすべきだったのではないだろうか。

「散策は不要不急にあたる場合が多いと思われますが、バッハ会長に意図を確認しないと分からないため、ここでは回答を控えさせていただきます。
ただし、五輪期間中も検査を連日受けるなど、感染拡大防止策を十分にとっていたバッハ会長とその関係者数名が、同じく管理下にあった五輪ボランティアのガイドを伴って滞在ホテルから近い銀座の散策に出向かれたのは、他者との交流を伴うものではないことや、国際的な日本のPRの観点から問題があるものではないと思われます。」

 これくらいの返しであれば、散策自体は必ずしも宜しくはないものの、感染拡大防止の点も踏まえて国際的要人であるバッハ氏が銀座をちょっと訪れるくらいは別に問題ないでしょ?と伝えることができた。(そういえばバッハさんは広島にも行っていたな、などと頭をよぎる。)

 こういうメッセージを間違えてしまったのも、国民に自粛を呼びかける中で非常に良くない。今では、「自分で不要不急に該当しないと判断したし、それまでにしっかりと感染対策を取っていたから、帰省や旅行をします。」という正当化が成り立ちやすい世の中になってしまった。実際、その正当化は時と場合によっては十分に成り立つが、今はそれを超えて自粛を求めるべきステージだという認識があるのだろうか。

 政府のスタンスひとつひとつの揚げ足をとるわけではないが、国民に対するメッセージや伝わり方を慎重に検討していたり、五輪を開催した中で自粛を求めることへの冷たい視線を感じていれば、感染状況が危機的な中でこういう発言は出てこないのではないかと思われる。私はがっかりしたし、政府を信頼するのではなく自分で自分を守らないといけないと改めて感じた。

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