久々の投稿だが、今日は野球のことではなく、少子化について書きたい。
どういうことを書いていくかというと、「出生率を上げるために子育て支援だとか金銭補助をしたところで構造的な問題の解決にはならないので、問題の本質に向き合った抜本的改善を図るべき」ということであるが、順に触れていきたい。
まずは、合計特殊出生率という数字について述べたい。これは、ざっくり「一人の女性が生涯に産む子供の数」をあらわしている。夫婦というのは男女2名の組だから、単純にはその数字が2.00であれば人口をそのまま維持できる。事故や病死などの死亡も考えると、日本では2.07くらいが人口維持の目安となるらしい。
で、今の日本でこの数字がどのようなものかと言うと1.34くらいらしいのだが、私が少子化問題の何が気に入らないかというと、2.00を下回り始めたのがなんと1975年からということだ。だから、もう50年近くも人口減の下地を築き続けてきたことになる。
年金やらのシステムを考えても、どう考えても人口はある程度一定にキープするのが望ましい。(もちろん、戦略的に増やす・減らすのタイミングはあるだろうとは思う。あとは、増やせるなら増やした方が良いが、あくまでゆっくり増やすべきだ。)だから、2.07くらいを維持できない社会はそもそも破綻しているとしか私には思えず、何もせずに社会のスタイルを変化させないで指をくわえて眺めているだけなのは、意味が分からない。
だから、私に言わせれば、「少子化」も「多子化」も起きないようにするために、合計特殊出生率を2.07くらいに保てるように政策を通じてコントロールすればよいだけの非常に単純な話であるように思える。
では、合計特殊出生率2.07を維持するにはどうしたらよいか?まずはどういう風に、各家庭が子供を持てばよいか考えていこう。
例えば10組の夫婦があったとして、その10組が合計20人の子供を産めば合計特殊出生率は2.00ということになる。これを実現するには、各夫婦が2名の子供を産むのが最も単純だが、対極的かつ極端には、ある1組の夫婦が20人の子供を産んでくれれば、その他9組の夫婦は子供を産まなくても別に構わない。
なぜこのような極端な例を述べたかというと、家庭の中に子供が1名いるだけでその夫婦に子育ての負担が多くのしかかるわけだが、その解決策のひとつを紐解いていきたいからだ。1組の夫婦が20名の子供を産んでくれて、残りの9組の夫婦(と書いたが、別に夫婦である必要もなく、9名の男性、9名の女性と言い換えても良い。)は子育てフリーというのは、社会全体の負担量で考えれば最もコンパクトかもしれない。
私は、子どもを育てるということが時間的・金銭的・精神的・肉体的に大きな負担となり、これが今の少子化の原因ではないかと思っている。子供を一人育てるというだけで、送り迎え・食事・家庭内の交流など、どれだけのことを親が対応しているだろうか。
だから、ひとつのアイディアとして、子育てをある程度家庭から分離できるような仕組みがあってはどうかと思っている。(もちろん、子供を全部自分の手で育てたい人はそのようにできることも大事だ。)
例えば私が思っているのは、子供は平日は家に帰らずに寮のような場所で寝泊まりして、週末だけ家に帰ってきて家族と過ごす。このようにすると、親は平日は子育てを忘れて仕事や他のことに集中でき、その分週末は子供との時間をじっくり堪能する。(ただし、子供の面倒を誰かに任せているわけで、その分の金銭的負担がかかることを忘れてはいけない。)
いくら「子ども手当」だとか「保育園の拡充」だとか「子育て支援」とか言っても、結局子どもを育てる労力は基本的に家庭に背負わせており、その労力を踏まえてでも子供を育てたいという家庭しか子どもを基本的に持たないという社会になっており、その社会にはどうしても限界があるということだ。
あと、これは多分に個人的な感情・思想になるのだが、親がアホであると、その親に育てられる子どももアホになることが多い。・・・ただの脱線になったが、何が言いたいかというと、親からある程度離れて経験を積むというのは、その人間の人格形成・社会経験において決して悪いことではないはずだ。
このようなアイディアを実行した時には、むしろ多子化が懸念される。だが、「寮費」を上げる(下げる)ことによって、多子化(少子化)は抑制することができる。むしろ、地域ごとにその寮費の設定にあえて差をつけることで、地域間の人口を均すということも見えてくる。
以上、一つのアイディアを述べたが、とにかく子育ての負担をある程度家庭から切り離すこと、そしてその変革を実行に移し受け入れることが今後数世紀の課題ではないかと思う。
(こういう文章系は太字とか色も使わず淡々と書くのが好きなので、そのように書いてしまった。読みにくかったと思うが、ここまで読んで下さった方に感謝)
管理人さんご投稿をありがとうございます。
子育てに関しての投稿、おもしろく拝見しました。
わたしも管理人さんの仰る寮制度とても良いと思います。
というのも、わたしも子宝に恵まれ、4歳と1歳の子供がいるのですが、
共働きで、保育園を利用していても、負担感は半端ないと思います。
おっしゃる通り、食事、排泄、寝かしつけ、そして夜泣きと
自分の時間が全く取れない毎日で、家庭の負担が大きく、
正直、お金を1000万円もらっても3人めは産みたくない、というのが本音です。
毎日の仕事でも子育て世代は本当に負担が大きいと思います。
・夜泣きで満足な睡眠が取れない(4〜5時間睡眠)で出勤する負担
しかも休日になっても、寝られない構造は変わらず、仕事の質が下がる
・家庭で勉強する時間が満足に取れない
クラウドや、ChatGPTなど、仕事を変える技術が次々と出ているのに、
そのリスキリングの時間をなかなか確保できない
・子供の病気や、コロナの濃厚接触など、突然数日の休みを強いられる
また、コロナの家庭待機期間は、外遊びができず自分の時間も取れず、
子どもがいない世帯で罹患した場合との負担の差が非常に大きい
保育や仕事の負担も大きいことに加え、わたしは
子供のテレビ時間を制限している関係上、オリックスファンにとって
もっとも濃密であったここ2年間の、野球中継をほとんど見れない、という
精神的なストレスも伴いました。
もちろん、子どもがいなければよかったとは思わないのですが・・・
いろいろハンデがありすぎない?とはいつもモヤモヤしています。
また、家庭で保育していると、家事をしている間はテレビを見せる等、
結果的に質の高い保育ができていない、という点も気になっています。
母子家庭などでは、本当にスマホが育児をする状態にならざるを
得ないのではないでしょうか。
こういった教育が結果として、自立していない大人を増やしていくのでは?
という心配も管理人さんのおっしゃるとおりだと思います。
管理人さんのおっしゃる寮を週2回でも使えれば負担感は全く違うと思います。
管理人さんの声が少しでも広がればいいな、と本当に思いました。
面白い投稿をいただき、ありがとうございました。
長文申し訳ありません。
ピジョンさん、
管理人です。コメントありがとうございます。
また、長文を読んでいただいてありがとうございます。
まず、ピジョンさんに敬意を表させてください。本当に大変な時期を過ごされているのですね。
いただいたコメントを読ませていただいても、やはり子育ての責任・義務・負担を、各家庭が専ら背負うことになる今の社会システムは、どう考えても合理的でないと痛感しました。
単なる保育園拡充や子ども手当の拡充を訴える政治を見ていて私はいつも思うのですが、本当に問題を深刻に考えて改善したいと思っていたら、そのような本質を考えないアイディアは出てこないはずです。
ある意味、考えているというポーズを取っているだけで、「欺瞞」とすら思えます。
記事には書かなかったのですが、私の持論として、「子供が生まれた瞬間、自分の人生の主役が自分ではなくなる。」があります。(昨今の日本において、少なくとも子供がある程度自立するまで。)
私はそのような社会ではなく、あくまで、子育てと自分のやりたいこと(自分の世界に向き合うこと)とは、メリハリをつけて、ある程度切り分けられるのがあるべき社会だと思います。
書いていただいたように、育児・子育ての質の向上のためにも、それが必要だとも思います。
また、世の中全体の価値観や考え方として、子どもを育てる・向き合うことというのは、「新しい仕事」という風にも捉えるべきだと思います。
ですから、「仕事」と「子育て」の両立は普通はできないものだと思います。
もし、単純に、今の仕事の倍の量(自身の業務に加えてもう1名分の業務)をやってくださいと言われて、できるとかやりたいとかは普通なりません。(さすがに残業はゼロとしても。)
この投稿のような視点が世の中にもっと広まってくれたらと私も思います。
最後になりましたが、今シーズンもよろしくお願いします。
p.s.
私も大変な時期は、オリックスの試合を観れずにモヤモヤしております。
深夜に録画を観たり、録画をスマホで持ち出して外で見たり、週末にまとめて観たりと頑張りますが、どうしても消化しきれないことも多く・・・。
私は元々、録画で早送りをしながら試合を見るので、大体1.5hもかからないで試合を観終わるのですが、それでも毎日これを継続となると非常に難しい!
本当に寝ている間に夢で試合を流してほしいです。
管理人様
ご返信ありがとうございます。
管理人さんがおっしゃる通り、子供が生まれた瞬間、新しい仕事が増えてしまうのはおっしゃるとおりだと思います。
また、対策として、男の育休がさかんに言われていますが、これこそポーズの最たるものだと思います。
というのも、0歳の出産直後で、食事は主に授乳、動き回らない、意思もない赤ちゃんでは、正直父親が1日いても、そこまでの仕事があるわけではないからです。
2ヶ月育休して、復帰したらまた毎日残業・・・では結局母親に負担が行く構図は変わりませんよね。
(もちろん、育児の大変さを知るという意味では、全く意味がないとは言いませんが・・・。)
むしろ2ヶ月(50日)休むくらいなら、毎週水曜日1日休みを1年とか、水曜日の午後休みを2年とか、残業は3年間制限とか、毎週母親が休める時間を定期的に提供するほうがよほど持続可能だと思います。(私は妻と家事分担シフトを作り、育休ではなく毎週定期的に休みを
取ることで、妻のまとまった睡眠時間を確保しました。)があまりそういう議論にはならないですね・・・。
先日も電車で、母親が子供にタブレットを触らせながら、自分もゲームを始めたのを見て、心底がっかりしてしまいました。が、子供がいなければ、ゲームしても全く問題ないわけです・・・。
もちろん、育児上、スマホ育児しながら自分もスマホは流石に駄目だろとは思いますが、管理人さんのお話を思い出して、モヤモヤしてしまいました。
さて、管理人様もコロナの間、本当にお忙しそうかと思いました。
コロナもようやく取扱が変わりそうですし、世の中が落ち着けばよいのですが。
どうぞご自愛ください。
また、無理のない範囲で、投稿をお待ちしております。