コロナとの戦いは持久戦なのか?(2021年7月31日)

<これまでとこれから>

2020年初頭頃から始まったこの新型コロナとの人類の戦いはいつまで続くのだろうか?

早期の封じ込めに完全に失敗した結果、その後は拡大をぎりぎりのラインで防ぎながらようやく1年半が過ぎたというのが大まかな状況だ。(中には完全にコントロール不可能な状態に陥った国・地域もあった。)

これまで、「ワクチンができるまでの辛抱」と政治家などが呼びかけ、国民全体が忍耐を継続してきたが、事実は残酷だ。変異株の影響は非常に大きく、ワクチン接種者の割合がある程度高まっても感染が拡大してしまっている(日本よりワクチン接種がはるかに進んでいる諸外国を見ても分かる)。もちろん、感染者数が増える一方で死亡者数や重症者数には顕著な成果が表れているわけだが、ワクチンによりできた抗体が持つ時間に限度があること(半年くらいなどとよく聞く)、感染者が増えることで発生する医療のひっ迫により負のスパイラル(死亡者等の増加)が起きることを考えると、ワクチンに加えての対策が必ず必要だ。

そこで、いくつかの今後の中長期的な対応案を考えてみたい。自分でいうのもおこがましいが、新型コロナに関する展望予測という意味では、私はあまり外したことがないので、ある程度悪くない考察ができるのではないかと思う。2021年夏になっても全く終息(収束)の兆しが見えないことも分かっていたし、ワクチン頼みではいけないことも分かっていた。死亡者数などが増えなければそれでよいという考えには当然一理あるが、感染者数が増える(世界にあるウイルスの量が増える)ということはそれだけ新たな変異株の発生する機会を与えていることになり、いつまでたっても終わらない。

脱線するが、終息時期に関する個人的な予測を述べておくと、「早くても2023年頃(コロナというものを多くの人々が意識しないで済む日がくる時期として)」。ただし、後で述べるが人類全体がその気になれば数か月後には終息させることができると思われるし、終息時期は今後の人類の対応次第だ。場合によっては、いつまでも終息しないことも十分にあり得ると思う。(そこまで行くと、何をもって終息と呼ぶのかという話になるだろうか。)「インフルに罹ったこと、何回くらいありますか?」という質問が特に違和感がないのと同じように、「コロナに罹ったこと、何回くらいありますか?」というのにも違和感がない世界にこのままだとなるだろう。

話を戻して、まず何を考察したいかというと、タイトルにもしたが、そもそも持久戦でよいのか?それともさっさと終息させたいのか?についてだ。思うに、どのように感染者数等をコントロールするのか?という基本的な指針がないから、人々の自粛にも温度差が生じるのだ。

<持久戦か、短期決戦か>

持久戦で行く場合は、新型コロナの感染者数を一定程度に抑えながらジワジワと人類全体で感染が広まっていき、先述のような、インフルもコロナも並列に語られる世の中を目指すことになる。ワクチンで一定の免疫を持ちつつ、あとは治療薬・治療法の確立を目指すことになるだろう。インフルエンザの年間死者数は、日本国内でどうやらせいぜい数千人の程度らしい。(詳しいデータは分からず。年によっても大きく異なるようだ。)これと同等のリスクに未来のコロナが落ち着けばよいが、果たして実際どうなるかは私には分からない。

どうにも、新型コロナの感染力の高さなどを踏まえると私は悲観的になってしまう。このまま新型コロナは拡大の一途をたどり、今後の世界ではコロナによる死亡者数が恒常的に発生する(インフル以上に)ように思えてならない。つまり、100年後の世界で「100年前の人たちがアホで対応を間違えたから、今コロナがやっかいな病気として世界に残ってしまっている。」と言われることになるのではないか・・・と思う。

持久戦に対して、短期決戦で終息(ゼロに収束)させることも十分に選択肢のひとつだ。私は常々これを主張してきた。全世界完全ロックダウンを2週間程度継続するだけで、劇的に感染者数は減るだろう。ただし、ライフライン維持や最低限の物理的な経済活動は必要と思われるし、2週間だと現実にはゼロにはならないので、数か月程度厳しめのロックダウン(外出禁止令)を継続すれば良いだろう。そのあとは、国民全員に公的にPCR検査を数回行えばOKだ。また、諸外国との往来については完全に考え方を一新し、2週間前後の待機は必ず課すという世の中にすべきだろう。

本来は持久戦か短期決戦かの基本方針の選択がまずあって、短期決戦を選択すべきであると思うのだが、世界中の対応を見ていると現実的には持久戦の方針なのだろうと思う。なので、私なりに、今すべきこと(政府などにしてもらいたいこと)を考えていきたい。

しかし・・・持久戦は人々の自粛にも限度があることが十分分かってしまったし、経済的にも耐えられるラインの限度がある。ここから世界的な恐慌とそれを打破するための紛争・戦争が起きないといいのだが・・・。

<今すべきこと>

① ワクチン接種は恒常化する。そのための設備・環境の整備を進める。

3回目のワクチンを接種すると変異株に対しても有効度が(さらに)高まるというような結果がある。今は日本全体でワクチン接種が徐々に進んでおり、2回目の接種を完了した人々が少しずつ増えている状況にあるが、今後は3回目の接種が一般に必要となるだろう。また、ワクチンによる抗体が持つ時間(半年程度とよく聞く)や、今後の新たな変異株への対応のため、ワクチンは今後数年間は定期的に打つことになるだろう。

そこで重要となるのが、安定的にワクチンを打つことができるように、制度整備や場所等を確保することだ。私は365日オープンのワクチン接種センターのようなものを、市区町村単位?などで設けるように整備を進めておくべきだと思う。(要は、地元でいつでも接種できるということ。)診療所等で打つようにするのは、恒常的な話になるので、全体的な医療負荷を高めることにならないかが危惧されると思う。

② 感染者数を何人でコントロールするのか、具体的な目標数字を出す。

例えば、1日あたり日本全国で●●人程度までの感染者数を許容するかなどの目標を明確に掲げ、その水準を超えたら直ちに措置に入ることを明確にすべきだ。このようにしないとメリハリがつかず、行動を変容させる効果は得られない。

なぜかというと、例えば日に1万人の感染者(これまでの最高水準)が日本で発生するとしても、1か月で30万人にしかならない。これは日本の人口をざっくり1億人として、そのわずか0.3%だ。つまり1000人に3人の割合なので、自分の身近に感染者は普通は発生しない。そうなると残念ながら、思考力のない人は「TVとかがいつも感染者数が増えているとか言っていて、政府も緊急事態宣言を出すとか言っているけど、自分の周りには感染している人はいないし、別に自粛しなくてもいいや。」などと思い始めるのだ。しかし、現実は日に1万の感染者というのは「非常に危機的な水準」なのだ。

だから、「●●人までは許容する。それ以上になったら、すぐ措置(行動制限)をかける。」というメッセージにして、線引きを分かりやすくしてあげないといけない。

③ ロックダウン(外出禁止)期間を設定する。

メリハリをつける意味でも感染拡大を減らす意味でも、計画的な外出禁止期間を設けることは非常に効果が高いと思われる。この夏を過ぎた後の、次の感染拡大の大きな危機は年末年始になるだろうと思うので、この時期をむしろ徹底的に抑え込む時期にしてしまえばよい。年末年始は冬休みでもあるしイベントなどは多いものの、「生活や暮らしのために欠かせないイベント等」というのはあまり無いと思われる。また、なるべく早めに外出禁止期間のアナウンスをしてくれれば対応する時間が取れるので、影響と混乱は抑えられる。

加えて、「感染症対策に計画性を持たせる」ということ自体も大きな進歩になると思う。今は、1か月後に緊急事態宣言が出ているかどうかも分からない、という漠然とした将来への不安がある。何かしらの計画性があれば、この不安を抑えることができる。

<当面の対処方法>

過去最多の感染者数をマークした中、国民に対してどのようにメッセージを伝えていくか(もう伝えようがないのではないか)が、非常に大きな課題として広く認識されている。

中には「オリンピック・パラリンピック中止」というカードを切るべきだと主張する人もいるが、私はこれは今さら現実的ではないと思う(式の縮小が現実的な妥協点になると思う)。かと言って、オリンピック・パラリンピックをやりながら、ロックダウン(外出自粛要請)を出すのも矛盾したメッセージになるので、ロックダウンを近日中に導入したとしても効果は限定的になるだろう。

私の個人的な結論はシンプルで、「効果的なメッセージの伝え方は最早ない」。だから、今後の展望を予測しておくと、

・当面は感染者数は増え続ける。夏休みなので、減少は絶望的。
・医療体制のひっ迫が続く。場合によっては医療崩壊が起きる。(8月中旬ごろ?)
・自宅待機者等から死亡者が出る。(という報道が顕著になる。)(8月下旬ごろ?)
・さすがに自粛ムードになる(丁度、夏休みも徐々に終わる)。(9月ごろ~?)
・政府の呼びかけも届きやすくなる。(9月ごろ~?)
・感染者数が落ちつく。ワクチンもほぼ行きわたる。(10月ごろ)
・その後はまた慢心した人々が多く発生し、年末年始を迎える・・・。(11月~)

という感じかなあと思う。(だから、その間の感染予防を自分の中で頑張ろうと思うだけである。)

<その他思うこと(雑記)>

感染者数の棒グラフをよくニュース等で見るが、絶対数で書くのではなく対数表示してくれないかなあ。大事なのはどれだけ変化したかであって、「1000人増えた」ではなく「倍になった」という捉え方をすべきだ。

対数表示というのが普通の表示と何が違うかを述べておこう。普通の表示では、「1」と「100」の中間は「50.5」になる。これが対数表示だと、「1」と「100」の中間は「10」となる。つまり、「1」、「10」、「100」、「1000」を軸上で等間隔に書いていくのだ。

この表示にすると、何倍変化したかが一目瞭然なのだ。目下のように倍々ゲームで増えているような状況を対数グラフにすると、その深刻さがより良く分かると思う。

 

コロナとの戦いは持久戦なのか?(2021年7月31日)」への2件のフィードバック

  1. 管理人さんお疲れ様です。
    コロナの収束はまったく見通しが立たないですね…

    皆が居酒屋等に行くのを自粛しないと、感染者は増える一方だと思います。
    一方、20〜30代の人にとっては、大学や社会で生涯の知己を得ること、結婚相手を見つけること、がコロナに感染するリスクを上回るのも、
    これだけ先が見通せないとやむを得ないのかとも思います。

    管理人さんがおっしゃるように、一ヶ月我慢したらほぼ収束できる、その間飲食店等には補助金を出す、など、
    明白なメッセージを出せればまた違うのでしょうが…

    全方位に向いて中途半端な対策しか出せないのでは、ズルズルいつまでも長引くでしょうね…

    1. ピジョンさん、コメントありがとうございます。

      自分の身近な人に感染者が発生しないと、そのリスクというのは認識されにくいようですね。
      おっしゃる通り、感染リスクと天秤にかける何かが人それぞれあると思いますが、健康第一であってほしいです。
      結局、自分の身を守れるのは自分だけですからね。

      人々が見通しを立てられないことが、本当に一番の問題だと思います。
      某総理には、訳の分からない答弁や問答をしていないで、きちんと説明してもらいたいですね。
      (内容が伴わないことはまだ許せますが、説明を果たそうとしないのは流石に不信に思います。)

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